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〈新時代宝箱〉№0015 「障害者に対する根深い差別意識の残る社会」令和2年2020年1月23日(木)

会長 伊藤 和男   



やまゆり園事件の公判が行われている。
この事件は、 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、利用者19人が殺害され、26人が負傷した事件。
横浜地裁で裁判員裁判が始まり、その行方が注目される。 元施設職員の植松聖(さとし)被告は起訴内容を認め謝罪したというが、裁判初日に指をかみ切ろうと大騒ぎをしたあげく退廷させられる等、自ら起こした犯罪に対する反省とはほど遠い所業である。

これまで、拘置期間中に取材した記者によれば、未だに「障害者は、社会に存在すべきでない」との考え方を述べているという。 そんな状況からすれば、彼の真の謝罪等はあるべきもないだろうし、仮に謝罪する仕種を見せたとしてもそれは心からのものとは言えないだろう。

ところで、私は、今回の裁判で不思議に思うのは、犯罪に遭遇し刺殺された施設入所の障害者たちの名前を伏せ「甲A」や「甲B」と呼ぶようにしたことだ。
また、被害者家族の傍聴席が隔壁で隔てられ、周囲から見られないようにしたことも全く理解できない。
恐らくこうした背景には、被害者やその家族を世間から守ろうとの裁判所の意識が働いているのであろうが、むしろ、このことは、被害障害者やその家族に対する偏見や差別を助長することに繋がりかねない。

そんな中、被害者の母が、わが子の名前を公表するという報道がなされた。 公表された「美穂さん」は幸せである。美穂さんのお母さんは、障害者である美穂さんを隠すことなくわが子として世間に公表することで、強い親子愛に裏付けされた人間愛を社会に示した。
それは、健常者とか障害者とかいうことに関係なく、子どもを尊厳あるかけがえのない人として認めていることを物語る。

とかく社会の人々の中には、障害者に対する以前のような偏見や差別がなくなってきたと見る向きもあるが、今回の裁判における法廷での取り扱いを見ると決してそんな状況ではないことが分かる。

私たちは、昨年千葉県アイパートナー協会を立ち上げ、ユニバーサル社会の実現を協会の基本コンセプトとして活動を開始したが、私たちの目指す社会では、今回の裁判で見られるような障害者に対する偏見や差別のような取り扱いは決して許されてはならない。
障害を有していようがいまいが、人の取り扱いは常に同様でなければならないのである。

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